ゆとりとりどり

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埼玉県に生息する20代の社会福祉士です。ゆとりのある生活を模索中。お金を増やすため、投資信託にも挑戦しています。このブログは日々の疑問や考え、不平不満を本音で書いています。

もし戦争になったら国のために戦う?嫌です!

みなさんご機嫌いかがですか? サイタマ光です。

 

先日上司と休憩室で休憩していた時に、テレビでたまたま安保法案について特集がやっていました。

 

そこで上司が私に「サイタマさんはもしもだけど、戦争になったら国のために戦うの?」と質問をしてきました。

 

私は即座に「いえ、もし戦争になったら自分は海外へでもどこにでも逃げます。国のために自分の命を落とすなんて馬鹿馬鹿しいですから」と答えたところ、少し驚いた様子で「そうか、自分は非国民になるのが嫌だから戦争にいっちゃうだろうな~」とつぶやいていました。

 

私はそれを聞いて思わず耳を疑い、心の中で「この人は何をそんな前近代的なことを言っているんだろう。非国民て何?今時そんな考えを持つ人なんかいるのか」と悪態をついてました。

今日は上司と私の戦争にいくとしたらどうするかという会話から、私の戦争に対する考えを述べます。※なお会話は読みやすいように多少変更しています。

 

所詮戦争に行くと答えるのは仮定の話しだからにすぎない

 

そして上司は言葉を続けて言いました。「だって昔は戦争に行けなかった人は非国民だったんだよ。障がい者だって非国民扱いで肩身の狭い思いをしてたしね。」

 

私をそれを軽く受け流しながら考えたのですが、周りから非国民扱いを受けたくないために戦争に行くって、ただ周りの空気を読んで思考停止状態じゃないかと。てか仮にも障がい者支援に携わっているなら、そこは部下の手前「自分は周りから非国民と言われても障がい者の味方でいたい!」とか何とか言ってくれよ。戦争になったら周りにと一緒になって障がい者を非国民扱いするんですね、分かります。(まあ戦争になったら真っ先に逃げると答えた私が言えた義理ではないがw)

 

てか上司は本当に戦争に行くことなんてありえないからこんなことが言えるんじゃないでしょうか?だって現実を考えれば安保法案が通ったからって戦争になるとは考えられないし、ましてや上司(推定40第後半)が生きている間に戦争に行くことなんかありえませんもんね。

 

だから平気で戦争に行くなんて口に出せるんでしょう。

 

自分は戦争に行くけど、子供たちは戦争に行ってほしくない!?

 

だんだんイライラしてきた私に上司は「でもね、自分は戦争に行っても良いけど、子供たちが戦争に行くのはやっぱり悲しいし、行ってほしくないな。」と語っていた。

 

そこで私の怒りのボルテージは上がりまくり。表面上は「あ~そうですよね。自分の子供が戦争に行ったら悲しいですよね。」と真剣に頷きつつ、心の中はどす黒い渦が感情が芽生えていて「はぁぁぁ何言ってのこのアホ野郎。自分は戦争に行っても良いけど、子供たちには行ってほしくない?仮に戦争になったら真っ先に使いやすくて体力もある若い人が戦場に送られるでしょ。若い人は過酷な訓練にも耐えられるでしょうし。てか私も親がいて親からすれば子供なんだけど。あれですか、じぶんの子供が戦場に行くのは我慢ならないけど、他人の子供ならどうでも良いってことですか、自己中心的な考えですね。」と野次を飛ばしていた。

 

戦争から逃げるのは悪いことでない

 

私は人から傷つけられたり殺されるのは嫌ですし、反対に人を傷つけたり殺すのもやりたくありません。また戦争にどんな正当な理由があっても、人と人が殺しあう行為を正当化したくありません。なら自分が戦争に関わらないためにも、もし日本が戦争になったら逃げるのです。

 

こういうことを言うと「お前は祖国を見捨てて逃げるのか!」とかいろいろ批判を受けそうですが、逆に戦争に行くという人はどうして行きたいのでしょうか?祖国のために戦うのですか?愛する家族のために戦うのでしょうか?そしてそれが社会への貢献になると思っているのでしょうか?

 

それならば、私は逃げて生き延びることが社会貢献だと思います。だって結局この世の中を動かすのは生きている人間だからです。いくら戦争で戦って名誉の死を遂げても、死んだ人は経済活動もできなければ家事も育児もできません。死んだ人間に価値があると思っているのはお坊さんと葬儀屋くらいでしょう。もちろん戦争に行くと答える人からしたら、戦争に行って五体満足で帰ってこれるのが理想だと思いますが。

 

日本の軍隊に命を預ける気になれない

 

そして正直私は日本の軍隊(特に司令官クラス)が信用できません。(山本五十六海軍大将のように優秀だなと思う人もいますが)太平洋戦争ではほとんど勝ち目のないアメリカと戦争し、神風特攻隊のような命を粗末にさせる作戦を考えた。有名な硫黄島の戦いだって、栗林中将が優秀であったから、少しはアメリカの進行を食い止めることができていましたが、結局大本営は援軍を硫黄島に送りませんでした。つまり硫黄島で戦った人は見捨てられたのです。またガダルカナルの島の戦いだって日本軍の戦略のなさが露呈してます。何の根拠もなく敵の戦力は2千と決めつけ攻撃し、おまけに補給が滞り大量の餓死者を出した。

 

このように戦時中の日本軍を見ると、素人の私から見ても戦略性が乏しく、人の命を大事に思っていないことが伺えます。

 

「え、それは戦中のことでしょ?あれから何年経っていると思っているだよ笑)」とご指摘をする人もいると思いますが、日本は戦後良くも悪くも戦争をしていません。てことは、もし今後日本が戦争をすると仮定して、はたして日本軍がきちんと緻密な戦略を立て、人の命を最大限に尊重してくれるかなんて不明です。そんなものは実際に戦争になってみなきゃ分かりませんし、戦争が長引くにつれ、頭がおかしい作戦が立案されるかも知れません。

 

そう考えると、戦争になったら戦うと答えた人も、軍に身を委ねるのではなく、武器が手に入るならレジスタンスとして戦うのも一つの方法ですよね。

 

ゆとりを持つことは幸せへの第一歩! ではさようなら~

 

失敗の本質

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