今こそ日本の介護現場にはドクター・キリコが必要だ
みなさんご機嫌いかがですか? サイタマ光です。
安楽死とは?
そもそも安楽死とはどういう意味なのでしょうか?日本臨床倫理学会のホームページには次のように書いてあります。
安楽死は、行為の主体として他人が関与し、自分自身ではもはや実行することのできなくなった患者に、身体的侵害によって直接死をもたらすことです。
そして安楽死は積極的安楽死と消極的安楽死に分けることができます。これも日本臨床倫理学会からの引用です。
積極的安楽死とは患者の命を終わらせる目的で「何かをすること」です。
さらに積極的安楽死は、ⅰ)自発的安楽死(Voluntary Euthanasia);意思能力を備えた成人が自らの意思で死を望んでいる場合 ⅱ)非自発的安楽死(Non-voluntary Euthanasia);重度障害新生児など、本人に判断能力がなく意向を表明できない場合 ⅲ)反自発的安楽死(Involuntary Euthanasia);意思能力を備えた本人の意向に反する場合、に区別されます。
消極的安楽死は、患者の命を終わらせる目的で「何か(治療)をしない」ことです。
出典:日本臨床倫理学会
積極的な安楽死は冒頭のドクター・キリコのようなイメージで、消極的安楽死は植物状態で生きている人間の延命治療を行わない等が挙げられます。
介護現場における安楽死をした方が良い人々
私は仕事の関係で、特別養護老人ホームを何度か訪問し、見学をした経験があります。そこで要介護5の症状の重い、ほぼ寝たきりの利用者の様子を職員さんから話を伺う機会があったのですが、その利用者は食事とお風呂の時間以外はほぼ眠っている状態が多く、起きていたとしても意識がもうろうとしており、コミュニケーションが取れないとのことでした。
私はそれを見聞きしたとき、正直この利用者は生きていても主体的に何一つ決めることもできず、一日を無為に過ごしている。はたしてこの利用者に生きる価値があるのだろうかとふと疑問に思いました。
「人は生きているだけで尊い」と私は思っていますが、それは本人に物事に対する選択の余地があり、その意思を伝えることが可能で、そして本人が生きていることを良くも悪くも実感できる環境が整っている時に、はじめて「生きているだけで価値がある」と言えるのではないでしょうか?
はっきり言って私がこの利用者さんと同じ状況なら、生きていたいとは絶対思わないです。すぐに安楽死を希望します。
しかし今の日本では消極的安楽死ならまだしも、積極的安楽死は本人の意思があろうとなかろうと認められていません。積極的安楽死をした場合、刑法の殺人罪が適用されてしまいます。
これっておかしくないですか。日本はこれからますます少子高齢化が進行し、高齢者の数が増えます。そしてそれに伴い、寝たきりで意思疎通もできない高齢者も増えていくでしょう。私はそのような高齢者は安楽死をして静かに息を引き取った方が、本人も家族も楽になれると思っています。
みなさんは安楽死についてどう思いますか?
ゆとりを持つことは幸せへの第一歩!ではさようなら。