介護職に夢って必要あるの?
みなさんメリークリスマス! サイタマ光です。
いや~今日はクリスマスですね。クリスマスなのに「介護職に夢って必要あるの?」なんて夢のない記事を書きます。私はただ自分が書きたい記事を書くだけです。聖なる夜もクソもありません。では本題です。
昨日下記の記事を読みました。ざっくり言うと、左さんという介護経営者が介護甲子園を立ち上げ、介護の現場を元気にして、「若者に介護職で夢を持ってほしい」と語っています。
http://大介護時代、到来!「ブラック視」され担い手がいない介護業界に、革命児が現れた 「介護甲子園」の挑戦
正直私は介護甲子園が嫌いです。(介護甲子園の批判はまたいつかしたいです)そして若者に介護職で夢を持ってほしいと語る経営者はもっと嫌いです。
今日は介護職の夢を切り口に、仕事における夢問題について書いていきます。
介護職における夢って何だ?
そもそも介護職における夢って具体的に何なんでしょうか?
私は入所している高齢者が全員毎日笑顔で安心して生活を送れる環境を提供することや、亡くなる前に「ここで生活を送れて良かった。ありがとう。」と、感謝されること等が思い浮かびました。
でもこれってはたして夢って言えるのでしょうか?私は夢ってそんな綺麗で他人のことを考えているものではなく、もっと自分自身の欲望を塊にして、煮詰めたようなものが夢だと思っています。
例えば結婚して子供を産み、幸せな家庭を作り、孫に囲まれながら暮らしたい!、金持ちになって贅沢したい!、社会的ステータスの高い職業に就いてみんなから尊敬されたい!、アンパンマンになりたい(これは私が幼稚園の頃の夢ですw)等でしょうか。
つまり夢って単純に言えば、金を得たい、みんなから尊敬されたい、愛を育みたいの三点に集約されると思っています。
だから別に夢を叶えたいとしても、何も介護職になる必要なんてないんです。だって幸せな家庭を築きたいとか、金持ちになりたいとか、そんなものは介護職に就かなくても実現できますもん。(むしろ介護職は低賃金だから夢から遠ざかる危険があります)
ということは私たちの夢というのは職業はあくまで手段であって、目的ではないということです。なので私は介護経営者が「介護職の若者に夢を持って仕事をしてほしい」という言葉に強い違和感を覚えるのです。だってそんなのは夢の押し付けです、余計なお世話です。みんな口にしないだけで、自分の内側にはいろいろな欲求がナイガアラの滝のように流れています。ただその欲求が介護職という仕事では満たすことができないだけなのです。
夢は経営者にとって都合が良い言葉
そして何よりこの夢を持ってほしいと語っているのが元茶話本舗の副社長だから気にくわないのです。だって茶話本舗って言えば不正請求問題や、週刊誌で虐待問題が取り上げられる等黒い噂が絶えない会社でした。そんな会社で副社長をやっていた人が今や介護業界の「革命児」と言われているから笑えます。自分が介護業界をブラック化した自覚はないようですね。
そんな人が、夢とか介護の現場を元気にとかもっともらしい言葉で語っているのがおかしい。元ヤンキーが先生になって教育論を偉そうに語っているぐらいおかしい。本当にどの口が言えるのか不思議でしょうがないです。
インベスターZを読んでいた時に、就活生の浩子と後輩の沢松の会話が、この問題に関連して印象的だったので紹介します。
沢松)人は精神的充足を味わうために働くんです。
自分で自分の存在価値を認めるために一生懸命打ち込むんです。
浩子)沢松君は暗示にかけられているわ。
沢松)暗示?
浩子)資本家たちが労働者を働かせるために社会に流したもっともらしい価値観にダマされている。 そんなものを真に受けて仕事に夢とか成長を 求めて身を粉にして働いたら資本家の思うツボよ。
出典:三田記房著『インベスターZ』10巻
私はこの会話を見てその通りだなと深く共感しました。結局この漫画で言われいる資本家って、上記に挙げた記事の左さんとそっくりです。私たちは資本家が「夢」とか「元気」とか「成長」といった言葉を使っていたら注意しなければいけません。それはただ単に何も知識がない若者を洗脳して、使い勝手の良い労働者として使い捨てにしたいだけかもしれません。耳障りの良い言葉に感化されるのではなく、「なぜこの経営者はこんな美辞麗句を並べるのだろう?何か意図があるのだろうか?」ということを考えることが、経済的弱者の自己防衛につながると私は考えています。
ゆとりを持つことは幸せへの第一歩!ではさようなら~